カリラ・ワ・ディムナ 稽古場レポート 

前回ブログをアップした時から、光陰矢の如しで一月も経過。この間あれこれ多忙+ブログの文字化けなどテクニカルな問題が、、、という言い訳は自分でも聞き苦しいので、早速カリラ・ワ・ディムナ、稽古場潜入レポート。
 
 一月末からロンドンのバービカン・センターで始まった、スレイマン・アルバッサーム・シアターの『カリラ・ワ・ディムナ 王子たちの鏡』の稽古。朝から夕までの約三週間のリハーサル期間の後、クウェートに飛んで湾岸ツアーを行い、来月三月十日からは東京国際芸術祭に登場、そして五月にここバービカンの小劇場ピットに戻ってBITE06企画公演+未定だが英国内ツアーと今後もなかなかタイトかつ盛りだくさんスケジュール。


二年前のアラビア語版スレイマン作品『アル・ハムレット・サミット』同様、『カリラ』の日本語翻訳と字幕作成を担当している筆者にとって稽古に立ち会うことは、戯曲がいかに身体化、舞台化されるかを知る絶好のチャンスである。おのずと戯曲の変更も早めにこちらに伝わり、さらには台詞と動作と字幕のタイミングを計ることもできるので、前回経験した字幕オペレーションルーム内でのドタバタ劇を多少は抑えることができるのでは、という魂胆も勿論あり。

1982年築のポストモダンといえば聞こえはいいが、導線という概念が否定されているかの複雑構造を持つヨーロッパ最大の総合文化センター、バービカンは、金融機関が集まるシティの只中にある。土日は閑散としたコンクリート・ジャングルというのが、筆者の持つバービカン・エステート界隈のイメージ。

稽古が行われているのは、ステージドアから数えて地下五階相当のAフロア。鏡が一面にあって、高さはないものの面積としては問題なし。稽古開始から二週目に当たるこの日、午前中は役者全員が集まり、講師チャーリーが指導する、役者同士がコンタクトを持った瞬間、あえて極言の動きを感情込めて台詞を言ってみるといった形でワークショップが行われていた。

稽古場隣には、三パウンド=六百五〇円位でロンドンにしては真っ当な食事が食べられるスタッフ専用食堂も付いていて、そこで役者たちとおしゃべりしながらランチを取る。「よく書き込まれた戯曲を演じるのは、役者の醍醐味」とスレイマンの本を褒めるキャミーは、「コスい」宮廷書記官であるアブー・アイユーブ役に満足だそう。湾岸ツアーに加えて、日本で演じられるのも、役者たちはとても楽しみにしているそうだ。

午後はまず場面毎に必要な役者が集まって本読み、それから動きをつけるといった古典中の古典とも言える稽古が進められていく。今回は英語公演なので、役者スタッフの殆どはブリティッシュ。8世紀のアッバース朝を舞台にしたこの芝居に出てくる「カリーファ」やら「ジンディーク」といった言葉の意味はおろか、お互いのキャラクターの発音さえもが時折不明瞭となる。その都度スレイマンの解説と発音、演技指導が加わる。これが見ていて結構面白い。さすがは「アル・ハムレット・サミット」のハムレット役を代役しただけあって、役者スレイマンもなかなか。(特に神経症的なヒクヒク笑いを誘う演技が得意とお見受けしました。またもやキレ気味キャラのスフィヤーン役で演出助手でもあるナイジェルと似た傾向の演技なので、二人がよく一緒に公演を打つのは、この故もあるのかと勝手な憶測も。)


主役アル・ムカッファイ役を演じるネイサンが引き続きボイストレーニングを受ける以外は、6時半ごろに稽古終了。何人かで近くのパブに繰り出す。スレイマンとあれこれ話し合う。来年、RSCのコンプリートシリーズで『リチャード三世』の中東翻案の乗り出す彼は、是非この作品も日本にもっていきたいと熱く語る。筆者もこれを実現すべくできるだけ協力したく思う。それからカンパニーマネージャーのビッキーに、「(小道具の)馬の頭蓋骨、日本持込可能?」といきなり聞かれ、一瞬反応できず。多分大丈夫だとは思うけれど持ち込んだことないので、日本のスタッフと相談してみてとしか答えられず。


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カリラ・ワ・ディムナ 稽古場レポート その二

 前回の稽古から三日後、午後から初めての通しがあるとビッキーから連絡を受けて、再びバービカンへ。まだ台本を完全に離せる状態ではなく、時折スレイマンが止めて演出を加えつつも、何とか一回通す。幕間を入れずして、約一時間四五分。翻訳者としては、スピーチディレクションの振替といった戯曲の変更に加えて、戯曲からだけではなかなか読み取れなかった動作、心理、人間関係がより明確に見えてきて有益だった。特に、ベンが演じているジャッカルの存在は、戯曲からは見えて来ないので、収穫大だった。


 ただ、二役三役は当たり前なこの芝居、衣装を着けていないのでいつ役者が役所を変えたかは現時点では戯曲を追っていないと分からなくなる。例えばアブラシュ、アルサッファーフ、ワーリバの三役を演じるマシューは、それぞれ奴隷宦官、カリフ、成り上がり宮廷書記官と役所が大きく変わるから演技の差異を出し易いものの、それでも観客は事前に人間関係と社会的地位を頭の中にインプットしていないと、やはりついていけなくなるのでは、と思ってしまった。詩人アブドゥル・ハミードと王族のアブドゥラ・ビン・アリーを演じるマーク、宮廷人スレイマンと武将アブー・ムスリムを演じているニコラスなどにも同様のことが言える。互いに似ているムスリム名も観客の理解(は勿論、実は現時点では役者同士の理解も)のハードルを高くしていて、「ええこの人もう死んだはずなのにまたなんか主張しているよ」、といった戸惑いは、衣装によって解消されることを願う。
 「実はTIFのスタッフと、役者は背中に大きくキャラクター名か番号か何かをつけるべきだと冗談を言い合った」と美術・衣装・映像デザインを一挙に担当しているジュリアに話したら、「実は、私たちの間でも衣装に名札をつけるアイデアが挙がった」とのこと。笑えたけれど、キャラを観客が判別できるかどうかは、まさに鍵となる問題だ。

 6時半頃、通し終了。その後役者たちは、今後の予定を話し合っていたので、筆者はまた戻って来るつもりで挨拶もそこそこにちょっと抜け出して、ピットで行われる完売プロダクション、ポーランドのガルジェニーチェのチケット『メタモルフォシス&エレクトラ』を取りに。だが手違いがあって、リターンチケットの列に並ぶハメに。と言う訳でスレイマン・カンパニーの皆さん、なんとなくフェイド・アウトしてしまってすみません。


BITE06 アナ・へレナの『エレクトラ』
 スタニエフスキー率いるガルジェニーチェは、ポーランドの村を拠点に東欧の音楽、神話、儀式、口承の歴史などを集めて演劇活動を続けてきた、今や世界的に有名、というかそれこそ神話化されつつある劇団。もう五年以上前になるが、ブロツラフにあるグロトフスキーセンターで行われたソング・オブ・ゴートのワークショップに出て、血と地の匂いが混じった演劇手法というより生活のほんの一部を、頭ではなく体で味わった時以来、筆者の演劇観の中でポーランド演劇、とりわけガルジェニーチェは特別な地位を占めていた訳なのだが、免疫がついてしまったのか、正直今回はさほど圧倒されず。ロンドンという儀式性を無化する演劇消費都市の故なのか、劇団自体がワールド・フェスティヴァル・サーキットに乗って消化されてしまった故なのか、EU統一後のポーランド文化自体が消費されつつあるのか。
 だがそれでも圧巻だったのは、エレクトラを演じたアナ・ヘレナ。さほど親しくはなかったが、大学が一緒だったので何度か話したことがある。これまでも何度か彼女の活躍ぶりを耳にはしていたが、目にするのは初めて。筋肉からして五年前に比べたらまさにメタモルフォーゼしていて、主要男優のカリスマを奪ってただの親父にするほどの(失礼)存在力、演技力、歌唱力。ブリティッシュ・アクセントを意図的に消しつつ英語、ポーランド語、古典ギリシア語を操り、歌い、叫び、チェロを奏で、演じるというより舞台空間を舞いつつ切り裂く。訓練の賜物であろうが、ガルジェニーチェのというより、アナ・へレナの『エレクトラ』だった。

BITE06 ロベール・ルバージュ自身による『アンデルセン・プロジェクト』
 アンデルセン自身の人生と物語を、カナダ人作家のパリ生活の始まりと終わりと絡ませて描く、ロベール・ルバージュ自身による独り芝居。年齢から来る肉体の衰え、文化の差異、旧帝国フランスに認識されたいと渇望するカナダ人アイデンティティなるものを自虐的なまでに生かした作りになっていて、エクス・マキナのベスト作品には届かないけれど、観ることをお勧めできる作品。歌舞伎の早替わりにも負けない衣装のすり替えの早さと四役の演じ分けも唸らせる。最初の五分位、カナダ人作家とパリオペラ座マネージャーをルバージュが演じ分けているとは、信じ切れなかった。

BITE06はこの後もピーター・ブルック(役者や舞台イメージではなく、演出家の御写真が堂々プログラムに掲載されているのって、一体何?ブルックのアウラを全面に売っているのね)やチーク・バイ・ジョウルとかなり豪華盛りだくさん。勿論スレイマンの『カリラ』もお忘れなく。