カリラ・ワ・ディムナ
初日、二日目と日々発展していくカリラ・ワ・ディムナ。
これまでのスレイマンによるテキスト書き換え、稽古、日々進化する公演とこれまでの
「ワーク・イン・プログレス」の一部を訳者として見てきましたが、複雑なレイヤーが掛かったこの芝居は、
見るたびに新たな発見があります。
慌しい準備を縫って、深夜遅くまで池袋で飲んで語ってという日々が続いていて、
このブログも先細り傾向に。のちのち写真と一緒に報告する予定ですがどうなることやら。
今日三日目は、演出家のスレイマン・アルバッサーム氏と宮沢章夫氏のポストトークがあります。
格安リピーターチケットもあるので、もう見た人も再び足を劇場にお運びください。
これまでのスレイマンによるテキスト書き換え、稽古、日々進化する公演とこれまでの
「ワーク・イン・プログレス」の一部を訳者として見てきましたが、複雑なレイヤーが掛かったこの芝居は、
見るたびに新たな発見があります。
慌しい準備を縫って、深夜遅くまで池袋で飲んで語ってという日々が続いていて、
このブログも先細り傾向に。のちのち写真と一緒に報告する予定ですがどうなることやら。
今日三日目は、演出家のスレイマン・アルバッサーム氏と宮沢章夫氏のポストトークがあります。
格安リピーターチケットもあるので、もう見た人も再び足を劇場にお運びください。
カリラ・ワ・ディムナ 東京公演初日
昨夜、スレイマン・アルバッサームカンパニーによる「カリラ・ワ・ディムナ」の幕が開きました。
詳しくは、
http://tif.anj.or.jp/index.html
帰国後、翻訳と字幕の変更に明け暮れおりますが、初演を明けてもそれは続きます。
通し、ゲネ、初演と見る度に新たな挑戦=演出家スレイマンの飽くなき追求による実験的試み
=自ずとテキスト変更が続くと言う訳です。
幕が開いても進化し続けるこの作品。つまりは何回見ても、常に新たな発見があり。必見!
詳しくは、
http://tif.anj.or.jp/index.html
帰国後、翻訳と字幕の変更に明け暮れおりますが、初演を明けてもそれは続きます。
通し、ゲネ、初演と見る度に新たな挑戦=演出家スレイマンの飽くなき追求による実験的試み
=自ずとテキスト変更が続くと言う訳です。
幕が開いても進化し続けるこの作品。つまりは何回見ても、常に新たな発見があり。必見!
カリラ・ワ・ディムナ ロンドンリハ 最終週
カリラ・ワ・ディムナ 稽古場レポート
前回ブログをアップした時から、光陰矢の如しで一月も経過。この間あれこれ多忙+ブログの文字化けなどテクニカルな問題が、、、という言い訳は自分でも聞き苦しいので、早速カリラ・ワ・ディムナ、稽古場潜入レポート。
一月末からロンドンのバービカン・センターで始まった、スレイマン・アルバッサーム・シアターの『カリラ・ワ・ディムナ 王子たちの鏡』の稽古。朝から夕までの約三週間のリハーサル期間の後、クウェートに飛んで湾岸ツアーを行い、来月三月十日からは東京国際芸術祭に登場、そして五月にここバービカンの小劇場ピットに戻ってBITE06企画公演+未定だが英国内ツアーと今後もなかなかタイトかつ盛りだくさんスケジュール。
二年前のアラビア語版スレイマン作品『アル・ハムレット・サミット』同様、『カリラ』の日本語翻訳と字幕作成を担当している筆者にとって稽古に立ち会うことは、戯曲がいかに身体化、舞台化されるかを知る絶好のチャンスである。おのずと戯曲の変更も早めにこちらに伝わり、さらには台詞と動作と字幕のタイミングを計ることもできるので、前回経験した字幕オペレーションルーム内でのドタバタ劇を多少は抑えることができるのでは、という魂胆も勿論あり。
1982年築のポストモダンといえば聞こえはいいが、導線という概念が否定されているかの複雑構造を持つヨーロッパ最大の総合文化センター、バービカンは、金融機関が集まるシティの只中にある。土日は閑散としたコンクリート・ジャングルというのが、筆者の持つバービカン・エステート界隈のイメージ。
稽古が行われているのは、ステージドアから数えて地下五階相当のAフロア。鏡が一面にあって、高さはないものの面積としては問題なし。稽古開始から二週目に当たるこの日、午前中は役者全員が集まり、講師チャーリーが指導する、役者同士がコンタクトを持った瞬間、あえて極言の動きを感情込めて台詞を言ってみるといった形でワークショップが行われていた。
稽古場隣には、三パウンド=六百五〇円位でロンドンにしては真っ当な食事が食べられるスタッフ専用食堂も付いていて、そこで役者たちとおしゃべりしながらランチを取る。「よく書き込まれた戯曲を演じるのは、役者の醍醐味」とスレイマンの本を褒めるキャミーは、「コスい」宮廷書記官であるアブー・アイユーブ役に満足だそう。湾岸ツアーに加えて、日本で演じられるのも、役者たちはとても楽しみにしているそうだ。
午後はまず場面毎に必要な役者が集まって本読み、それから動きをつけるといった古典中の古典とも言える稽古が進められていく。今回は英語公演なので、役者スタッフの殆どはブリティッシュ。8世紀のアッバース朝を舞台にしたこの芝居に出てくる「カリーファ」やら「ジンディーク」といった言葉の意味はおろか、お互いのキャラクターの発音さえもが時折不明瞭となる。その都度スレイマンの解説と発音、演技指導が加わる。これが見ていて結構面白い。さすがは「アル・ハムレット・サミット」のハムレット役を代役しただけあって、役者スレイマンもなかなか。(特に神経症的なヒクヒク笑いを誘う演技が得意とお見受けしました。またもやキレ気味キャラのスフィヤーン役で演出助手でもあるナイジェルと似た傾向の演技なので、二人がよく一緒に公演を打つのは、この故もあるのかと勝手な憶測も。)
主役アル・ムカッファイ役を演じるネイサンが引き続きボイストレーニングを受ける以外は、6時半ごろに稽古終了。何人かで近くのパブに繰り出す。スレイマンとあれこれ話し合う。来年、RSCのコンプリートシリーズで『リチャード三世』の中東翻案の乗り出す彼は、是非この作品も日本にもっていきたいと熱く語る。筆者もこれを実現すべくできるだけ協力したく思う。それからカンパニーマネージャーのビッキーに、「(小道具の)馬の頭蓋骨、日本持込可能?」といきなり聞かれ、一瞬反応できず。多分大丈夫だとは思うけれど持ち込んだことないので、日本のスタッフと相談してみてとしか答えられず。
------------
カリラ・ワ・ディムナ 稽古場レポート その二
前回の稽古から三日後、午後から初めての通しがあるとビッキーから連絡を受けて、再びバービカンへ。まだ台本を完全に離せる状態ではなく、時折スレイマンが止めて演出を加えつつも、何とか一回通す。幕間を入れずして、約一時間四五分。翻訳者としては、スピーチディレクションの振替といった戯曲の変更に加えて、戯曲からだけではなかなか読み取れなかった動作、心理、人間関係がより明確に見えてきて有益だった。特に、ベンが演じているジャッカルの存在は、戯曲からは見えて来ないので、収穫大だった。
ただ、二役三役は当たり前なこの芝居、衣装を着けていないのでいつ役者が役所を変えたかは現時点では戯曲を追っていないと分からなくなる。例えばアブラシュ、アルサッファーフ、ワーリバの三役を演じるマシューは、それぞれ奴隷宦官、カリフ、成り上がり宮廷書記官と役所が大きく変わるから演技の差異を出し易いものの、それでも観客は事前に人間関係と社会的地位を頭の中にインプットしていないと、やはりついていけなくなるのでは、と思ってしまった。詩人アブドゥル・ハミードと王族のアブドゥラ・ビン・アリーを演じるマーク、宮廷人スレイマンと武将アブー・ムスリムを演じているニコラスなどにも同様のことが言える。互いに似ているムスリム名も観客の理解(は勿論、実は現時点では役者同士の理解も)のハードルを高くしていて、「ええこの人もう死んだはずなのにまたなんか主張しているよ」、といった戸惑いは、衣装によって解消されることを願う。
「実はTIFのスタッフと、役者は背中に大きくキャラクター名か番号か何かをつけるべきだと冗談を言い合った」と美術・衣装・映像デザインを一挙に担当しているジュリアに話したら、「実は、私たちの間でも衣装に名札をつけるアイデアが挙がった」とのこと。笑えたけれど、キャラを観客が判別できるかどうかは、まさに鍵となる問題だ。
6時半頃、通し終了。その後役者たちは、今後の予定を話し合っていたので、筆者はまた戻って来るつもりで挨拶もそこそこにちょっと抜け出して、ピットで行われる完売プロダクション、ポーランドのガルジェニーチェのチケット『メタモルフォシス&エレクトラ』を取りに。だが手違いがあって、リターンチケットの列に並ぶハメに。と言う訳でスレイマン・カンパニーの皆さん、なんとなくフェイド・アウトしてしまってすみません。
BITE06 アナ・へレナの『エレクトラ』
スタニエフスキー率いるガルジェニーチェは、ポーランドの村を拠点に東欧の音楽、神話、儀式、口承の歴史などを集めて演劇活動を続けてきた、今や世界的に有名、というかそれこそ神話化されつつある劇団。もう五年以上前になるが、ブロツラフにあるグロトフスキーセンターで行われたソング・オブ・ゴートのワークショップに出て、血と地の匂いが混じった演劇手法というより生活のほんの一部を、頭ではなく体で味わった時以来、筆者の演劇観の中でポーランド演劇、とりわけガルジェニーチェは特別な地位を占めていた訳なのだが、免疫がついてしまったのか、正直今回はさほど圧倒されず。ロンドンという儀式性を無化する演劇消費都市の故なのか、劇団自体がワールド・フェスティヴァル・サーキットに乗って消化されてしまった故なのか、EU統一後のポーランド文化自体が消費されつつあるのか。
だがそれでも圧巻だったのは、エレクトラを演じたアナ・ヘレナ。さほど親しくはなかったが、大学が一緒だったので何度か話したことがある。これまでも何度か彼女の活躍ぶりを耳にはしていたが、目にするのは初めて。筋肉からして五年前に比べたらまさにメタモルフォーゼしていて、主要男優のカリスマを奪ってただの親父にするほどの(失礼)存在力、演技力、歌唱力。ブリティッシュ・アクセントを意図的に消しつつ英語、ポーランド語、古典ギリシア語を操り、歌い、叫び、チェロを奏で、演じるというより舞台空間を舞いつつ切り裂く。訓練の賜物であろうが、ガルジェニーチェのというより、アナ・へレナの『エレクトラ』だった。
BITE06 ロベール・ルバージュ自身による『アンデルセン・プロジェクト』
アンデルセン自身の人生と物語を、カナダ人作家のパリ生活の始まりと終わりと絡ませて描く、ロベール・ルバージュ自身による独り芝居。年齢から来る肉体の衰え、文化の差異、旧帝国フランスに認識されたいと渇望するカナダ人アイデンティティなるものを自虐的なまでに生かした作りになっていて、エクス・マキナのベスト作品には届かないけれど、観ることをお勧めできる作品。歌舞伎の早替わりにも負けない衣装のすり替えの早さと四役の演じ分けも唸らせる。最初の五分位、カナダ人作家とパリオペラ座マネージャーをルバージュが演じ分けているとは、信じ切れなかった。
BITE06はこの後もピーター・ブルック(役者や舞台イメージではなく、演出家の御写真が堂々プログラムに掲載されているのって、一体何?ブルックのアウラを全面に売っているのね)やチーク・バイ・ジョウルとかなり豪華盛りだくさん。勿論スレイマンの『カリラ』もお忘れなく。
一月末からロンドンのバービカン・センターで始まった、スレイマン・アルバッサーム・シアターの『カリラ・ワ・ディムナ 王子たちの鏡』の稽古。朝から夕までの約三週間のリハーサル期間の後、クウェートに飛んで湾岸ツアーを行い、来月三月十日からは東京国際芸術祭に登場、そして五月にここバービカンの小劇場ピットに戻ってBITE06企画公演+未定だが英国内ツアーと今後もなかなかタイトかつ盛りだくさんスケジュール。
二年前のアラビア語版スレイマン作品『アル・ハムレット・サミット』同様、『カリラ』の日本語翻訳と字幕作成を担当している筆者にとって稽古に立ち会うことは、戯曲がいかに身体化、舞台化されるかを知る絶好のチャンスである。おのずと戯曲の変更も早めにこちらに伝わり、さらには台詞と動作と字幕のタイミングを計ることもできるので、前回経験した字幕オペレーションルーム内でのドタバタ劇を多少は抑えることができるのでは、という魂胆も勿論あり。
1982年築のポストモダンといえば聞こえはいいが、導線という概念が否定されているかの複雑構造を持つヨーロッパ最大の総合文化センター、バービカンは、金融機関が集まるシティの只中にある。土日は閑散としたコンクリート・ジャングルというのが、筆者の持つバービカン・エステート界隈のイメージ。
稽古が行われているのは、ステージドアから数えて地下五階相当のAフロア。鏡が一面にあって、高さはないものの面積としては問題なし。稽古開始から二週目に当たるこの日、午前中は役者全員が集まり、講師チャーリーが指導する、役者同士がコンタクトを持った瞬間、あえて極言の動きを感情込めて台詞を言ってみるといった形でワークショップが行われていた。
稽古場隣には、三パウンド=六百五〇円位でロンドンにしては真っ当な食事が食べられるスタッフ専用食堂も付いていて、そこで役者たちとおしゃべりしながらランチを取る。「よく書き込まれた戯曲を演じるのは、役者の醍醐味」とスレイマンの本を褒めるキャミーは、「コスい」宮廷書記官であるアブー・アイユーブ役に満足だそう。湾岸ツアーに加えて、日本で演じられるのも、役者たちはとても楽しみにしているそうだ。
午後はまず場面毎に必要な役者が集まって本読み、それから動きをつけるといった古典中の古典とも言える稽古が進められていく。今回は英語公演なので、役者スタッフの殆どはブリティッシュ。8世紀のアッバース朝を舞台にしたこの芝居に出てくる「カリーファ」やら「ジンディーク」といった言葉の意味はおろか、お互いのキャラクターの発音さえもが時折不明瞭となる。その都度スレイマンの解説と発音、演技指導が加わる。これが見ていて結構面白い。さすがは「アル・ハムレット・サミット」のハムレット役を代役しただけあって、役者スレイマンもなかなか。(特に神経症的なヒクヒク笑いを誘う演技が得意とお見受けしました。またもやキレ気味キャラのスフィヤーン役で演出助手でもあるナイジェルと似た傾向の演技なので、二人がよく一緒に公演を打つのは、この故もあるのかと勝手な憶測も。)
主役アル・ムカッファイ役を演じるネイサンが引き続きボイストレーニングを受ける以外は、6時半ごろに稽古終了。何人かで近くのパブに繰り出す。スレイマンとあれこれ話し合う。来年、RSCのコンプリートシリーズで『リチャード三世』の中東翻案の乗り出す彼は、是非この作品も日本にもっていきたいと熱く語る。筆者もこれを実現すべくできるだけ協力したく思う。それからカンパニーマネージャーのビッキーに、「(小道具の)馬の頭蓋骨、日本持込可能?」といきなり聞かれ、一瞬反応できず。多分大丈夫だとは思うけれど持ち込んだことないので、日本のスタッフと相談してみてとしか答えられず。
------------
カリラ・ワ・ディムナ 稽古場レポート その二
前回の稽古から三日後、午後から初めての通しがあるとビッキーから連絡を受けて、再びバービカンへ。まだ台本を完全に離せる状態ではなく、時折スレイマンが止めて演出を加えつつも、何とか一回通す。幕間を入れずして、約一時間四五分。翻訳者としては、スピーチディレクションの振替といった戯曲の変更に加えて、戯曲からだけではなかなか読み取れなかった動作、心理、人間関係がより明確に見えてきて有益だった。特に、ベンが演じているジャッカルの存在は、戯曲からは見えて来ないので、収穫大だった。
ただ、二役三役は当たり前なこの芝居、衣装を着けていないのでいつ役者が役所を変えたかは現時点では戯曲を追っていないと分からなくなる。例えばアブラシュ、アルサッファーフ、ワーリバの三役を演じるマシューは、それぞれ奴隷宦官、カリフ、成り上がり宮廷書記官と役所が大きく変わるから演技の差異を出し易いものの、それでも観客は事前に人間関係と社会的地位を頭の中にインプットしていないと、やはりついていけなくなるのでは、と思ってしまった。詩人アブドゥル・ハミードと王族のアブドゥラ・ビン・アリーを演じるマーク、宮廷人スレイマンと武将アブー・ムスリムを演じているニコラスなどにも同様のことが言える。互いに似ているムスリム名も観客の理解(は勿論、実は現時点では役者同士の理解も)のハードルを高くしていて、「ええこの人もう死んだはずなのにまたなんか主張しているよ」、といった戸惑いは、衣装によって解消されることを願う。
「実はTIFのスタッフと、役者は背中に大きくキャラクター名か番号か何かをつけるべきだと冗談を言い合った」と美術・衣装・映像デザインを一挙に担当しているジュリアに話したら、「実は、私たちの間でも衣装に名札をつけるアイデアが挙がった」とのこと。笑えたけれど、キャラを観客が判別できるかどうかは、まさに鍵となる問題だ。
6時半頃、通し終了。その後役者たちは、今後の予定を話し合っていたので、筆者はまた戻って来るつもりで挨拶もそこそこにちょっと抜け出して、ピットで行われる完売プロダクション、ポーランドのガルジェニーチェのチケット『メタモルフォシス&エレクトラ』を取りに。だが手違いがあって、リターンチケットの列に並ぶハメに。と言う訳でスレイマン・カンパニーの皆さん、なんとなくフェイド・アウトしてしまってすみません。
BITE06 アナ・へレナの『エレクトラ』
スタニエフスキー率いるガルジェニーチェは、ポーランドの村を拠点に東欧の音楽、神話、儀式、口承の歴史などを集めて演劇活動を続けてきた、今や世界的に有名、というかそれこそ神話化されつつある劇団。もう五年以上前になるが、ブロツラフにあるグロトフスキーセンターで行われたソング・オブ・ゴートのワークショップに出て、血と地の匂いが混じった演劇手法というより生活のほんの一部を、頭ではなく体で味わった時以来、筆者の演劇観の中でポーランド演劇、とりわけガルジェニーチェは特別な地位を占めていた訳なのだが、免疫がついてしまったのか、正直今回はさほど圧倒されず。ロンドンという儀式性を無化する演劇消費都市の故なのか、劇団自体がワールド・フェスティヴァル・サーキットに乗って消化されてしまった故なのか、EU統一後のポーランド文化自体が消費されつつあるのか。
だがそれでも圧巻だったのは、エレクトラを演じたアナ・ヘレナ。さほど親しくはなかったが、大学が一緒だったので何度か話したことがある。これまでも何度か彼女の活躍ぶりを耳にはしていたが、目にするのは初めて。筋肉からして五年前に比べたらまさにメタモルフォーゼしていて、主要男優のカリスマを奪ってただの親父にするほどの(失礼)存在力、演技力、歌唱力。ブリティッシュ・アクセントを意図的に消しつつ英語、ポーランド語、古典ギリシア語を操り、歌い、叫び、チェロを奏で、演じるというより舞台空間を舞いつつ切り裂く。訓練の賜物であろうが、ガルジェニーチェのというより、アナ・へレナの『エレクトラ』だった。
BITE06 ロベール・ルバージュ自身による『アンデルセン・プロジェクト』
アンデルセン自身の人生と物語を、カナダ人作家のパリ生活の始まりと終わりと絡ませて描く、ロベール・ルバージュ自身による独り芝居。年齢から来る肉体の衰え、文化の差異、旧帝国フランスに認識されたいと渇望するカナダ人アイデンティティなるものを自虐的なまでに生かした作りになっていて、エクス・マキナのベスト作品には届かないけれど、観ることをお勧めできる作品。歌舞伎の早替わりにも負けない衣装のすり替えの早さと四役の演じ分けも唸らせる。最初の五分位、カナダ人作家とパリオペラ座マネージャーをルバージュが演じ分けているとは、信じ切れなかった。
BITE06はこの後もピーター・ブルック(役者や舞台イメージではなく、演出家の御写真が堂々プログラムに掲載されているのって、一体何?ブルックのアウラを全面に売っているのね)やチーク・バイ・ジョウルとかなり豪華盛りだくさん。勿論スレイマンの『カリラ』もお忘れなく。
年末年始総決算その三 オータナティブ
ナショナルで、ロイド・ニューソン演出、DV8の『ジャスト・フォー・ショウ』を見る。ルックス命、うわべがすべてのショービズの世界のパロディ。多分に意識してのことだろうが、ミイラ取りがミイラになって、極度にビジュアル重視の舞台。だが鏡の中に身体が溶け込むテクニックなど、身体と映像を融合させる視点と手法は、やはり斬新。
---
ノッティンガムまで繰り出す。まず「城跡」を見る。美術館は、現代美術あり、ファブリックあり、いきなり古典ありと、かなりごたまぜ。歴史資料は、それなりに面白かった。ノッティンガムのあれこれの歴史は、昔はあったが今はなく、その不在を確認しに訪れる「城跡」に象徴されている。
お目当てのタラアーツの『ベニスの商人』を見るために、タクシーを飛ばしてレイクサイド・アーツ・センターへ。本当に湖のそばにある新しい建物。が、レセプションに行ったら、なんと女優が怪我をして、キャンセル、、、。お詫びにもらったチケットは、オーストラリアのアカペラコーラス隊だが、コンサートの定義を意図的に崩して、くしゃみなどコンサートでは一般的には忌避される仕草などを取り入れたもの。面白かったけれど、体が冷え切っていたので幕間で帰って、テレビ見て寝る。人生にはこういうこともあるのです。
---
オーストリア人のカップルのパーティへ行く。旦那さんはとても背が高く、身長2メートルを軽く超えている。こうなると私とは世界観はもちろん、身体感覚がかなり異なってくるのだろう。
---
ロンドンブリッジで、シャントの『アマト・サルトーネ』を見る。受付をし、シャント・ヴォールトの長い長い暗闇の中を辿っていく。前回の公演では、この通路を利用していたけど、今回は別のスペースを開拓している。受付でもらった鍵を使って、人ごみの中、ロッカールームを開くと、名前の書いてある紙が。これが最後まで意味不明。なくてもいい仕掛けかもしれない。それから、妊婦風エンターテイナーが歌い続ける中、空港とかホテルによくあるような、モダンなオープンフロアでしばらく待つ。やがてシャッターが開き、まさに映画『裏窓』風に、ロンドン界隈の裏窓を盗み見るようなスタイルで芝居がスタート。女が、別の女を殴っている。そんな修羅場を背景に、パンツ一丁の男たち三人は悠然とタバコをすっている。
ピアノの上の電話がなり、客の一人が答え、何人かをピックアップし、別の部屋へ男女別に案内される。いかにも、ワーキングラス風の小汚いキッチン。スレイマン・アルバッサームの芝居にも出ていて(『アル・ハムレット・サミット』アラビア語版では、武器商人を好演)、シャントの主要メンバーである役者のナイジェルが、パーティハット被って「パーティ!」と騒いでいる。彼はキレ気味の役がすこぶるうまい。前のシャント公演の時は、ダサめのシャツとカーディンガンを着て、いかにも不器用かつ不気味なイギリス人というクリシェを体現し切っていました。上の階から物音。妻らしき女が入ってきて、いやな空気が流れ、客はすごすごと次の間の映画館内部へ。港町の男と女を描く白黒サイレントシネマが続く。やがて「シネマ」が幕となり、客がドアに向かって歩きだすと、、、。
視覚/死角の交錯。観客席という前提のずらし。もっと仕掛けを作り込むのといいのに、などと思う箇所も多々あるけれど、シャントならではの空間を使ったオータナティヴ・パフォーマンスは、今後も見逃せない。
---
オーヴァルハウスにて、ドラマターグについてのシンポ「Dramatrix05」に参加。英国のドラマターグは、ドイツとはまた違って、劇作家のインフォーマー、アドヴァイザー的に動くことが多いということが分かった。シンポの中身自体は今ひとつだったが、劇団関係者といろいろ話して、ネットワークが広がったのが、何よりの収穫。
---
1931年に建てられ、今は閉鎖されている公共プールで行われたサイトスペシフィック・パフォーマンス『ディープエンド』を見るために、マーシャルストリートへ。今は使われていない、けれども開館当時はモダンガールで溢れていただろう、セピア色の朽ちた公共施設への小旅行。
すれ違い、覗き見るのは、じっとこちらを見つめる水着姿の女たち。ざぶざぶ掃除をする女達。すうすう昼寝をする女達。振り返ると、服だけ残っていて、生身の身体は、もうさっき見た場所にはいない。
ドアを開けると、大広間。はるかに距離をおいた向こうで、少女が手鏡を持って髪を梳っている。無垢にして勝気な表情と開いた足。バルチュスの絵画が三次元化された大胆な空間構成。
踊り階段には、ご近所の歓楽街ソーホーから集まった娼婦や男娼、ポン引きといった怪しげな人々が立ち、各々の生業を展開。
凍りつくような寒さの中(なんせプールですから。役者やっていた友人は、ずっと冷えた床で平泳ぎしてました)、何十人というキャスト・スタッフを駆使して、ある建造物の過去を現在に蘇らせる、ジェラルディン・ピルグリム主宰のコリドーの今後が楽しみ。
---
ストーク・ニューイントンにあるパブ、ライオン。看板には、「オータナティヴ・エンターテイメント」。 それがランチタイムのプチストリップショーでもあることを知ったのは、トム・ハンターの写真展、「リヴィング・イン・ヘル」を見てから。
---
ノッティンガムまで繰り出す。まず「城跡」を見る。美術館は、現代美術あり、ファブリックあり、いきなり古典ありと、かなりごたまぜ。歴史資料は、それなりに面白かった。ノッティンガムのあれこれの歴史は、昔はあったが今はなく、その不在を確認しに訪れる「城跡」に象徴されている。
お目当てのタラアーツの『ベニスの商人』を見るために、タクシーを飛ばしてレイクサイド・アーツ・センターへ。本当に湖のそばにある新しい建物。が、レセプションに行ったら、なんと女優が怪我をして、キャンセル、、、。お詫びにもらったチケットは、オーストラリアのアカペラコーラス隊だが、コンサートの定義を意図的に崩して、くしゃみなどコンサートでは一般的には忌避される仕草などを取り入れたもの。面白かったけれど、体が冷え切っていたので幕間で帰って、テレビ見て寝る。人生にはこういうこともあるのです。
---
オーストリア人のカップルのパーティへ行く。旦那さんはとても背が高く、身長2メートルを軽く超えている。こうなると私とは世界観はもちろん、身体感覚がかなり異なってくるのだろう。
---
ロンドンブリッジで、シャントの『アマト・サルトーネ』を見る。受付をし、シャント・ヴォールトの長い長い暗闇の中を辿っていく。前回の公演では、この通路を利用していたけど、今回は別のスペースを開拓している。受付でもらった鍵を使って、人ごみの中、ロッカールームを開くと、名前の書いてある紙が。これが最後まで意味不明。なくてもいい仕掛けかもしれない。それから、妊婦風エンターテイナーが歌い続ける中、空港とかホテルによくあるような、モダンなオープンフロアでしばらく待つ。やがてシャッターが開き、まさに映画『裏窓』風に、ロンドン界隈の裏窓を盗み見るようなスタイルで芝居がスタート。女が、別の女を殴っている。そんな修羅場を背景に、パンツ一丁の男たち三人は悠然とタバコをすっている。
ピアノの上の電話がなり、客の一人が答え、何人かをピックアップし、別の部屋へ男女別に案内される。いかにも、ワーキングラス風の小汚いキッチン。スレイマン・アルバッサームの芝居にも出ていて(『アル・ハムレット・サミット』アラビア語版では、武器商人を好演)、シャントの主要メンバーである役者のナイジェルが、パーティハット被って「パーティ!」と騒いでいる。彼はキレ気味の役がすこぶるうまい。前のシャント公演の時は、ダサめのシャツとカーディンガンを着て、いかにも不器用かつ不気味なイギリス人というクリシェを体現し切っていました。上の階から物音。妻らしき女が入ってきて、いやな空気が流れ、客はすごすごと次の間の映画館内部へ。港町の男と女を描く白黒サイレントシネマが続く。やがて「シネマ」が幕となり、客がドアに向かって歩きだすと、、、。
視覚/死角の交錯。観客席という前提のずらし。もっと仕掛けを作り込むのといいのに、などと思う箇所も多々あるけれど、シャントならではの空間を使ったオータナティヴ・パフォーマンスは、今後も見逃せない。
---
オーヴァルハウスにて、ドラマターグについてのシンポ「Dramatrix05」に参加。英国のドラマターグは、ドイツとはまた違って、劇作家のインフォーマー、アドヴァイザー的に動くことが多いということが分かった。シンポの中身自体は今ひとつだったが、劇団関係者といろいろ話して、ネットワークが広がったのが、何よりの収穫。
---
1931年に建てられ、今は閉鎖されている公共プールで行われたサイトスペシフィック・パフォーマンス『ディープエンド』を見るために、マーシャルストリートへ。今は使われていない、けれども開館当時はモダンガールで溢れていただろう、セピア色の朽ちた公共施設への小旅行。
すれ違い、覗き見るのは、じっとこちらを見つめる水着姿の女たち。ざぶざぶ掃除をする女達。すうすう昼寝をする女達。振り返ると、服だけ残っていて、生身の身体は、もうさっき見た場所にはいない。
ドアを開けると、大広間。はるかに距離をおいた向こうで、少女が手鏡を持って髪を梳っている。無垢にして勝気な表情と開いた足。バルチュスの絵画が三次元化された大胆な空間構成。
踊り階段には、ご近所の歓楽街ソーホーから集まった娼婦や男娼、ポン引きといった怪しげな人々が立ち、各々の生業を展開。
凍りつくような寒さの中(なんせプールですから。役者やっていた友人は、ずっと冷えた床で平泳ぎしてました)、何十人というキャスト・スタッフを駆使して、ある建造物の過去を現在に蘇らせる、ジェラルディン・ピルグリム主宰のコリドーの今後が楽しみ。
---
ストーク・ニューイントンにあるパブ、ライオン。看板には、「オータナティヴ・エンターテイメント」。 それがランチタイムのプチストリップショーでもあることを知ったのは、トム・ハンターの写真展、「リヴィング・イン・ヘル」を見てから。





